ビクトリア・デー
ビクトリア・デーって?
19世紀にイギリスの女王だったビクトリア女王を記念する日。
ビクトリア女王が生まれたのは1819年の5月24日です。誕生日を祝うため毎年5月25日の直前に来る月曜日、すなわち5月18日から24日までの間の月曜日を祝日とすることになりました。
ちなみに今年は5月23日の月曜日が祝日です。
カナダもイギリス連邦の一員なので、この日が祝日となっています。
また、俗にビクトリア・デーがカナダの夏の始まりとも言われています。バンクーバーもこの頃から天気が良い日が増え、特に7月と8月は晴天が続きます。
この日はカナダ各地でお祝い事が催されます。パレードや花火を打ち上げたりします。
ビクトリア女王の時代
ビクトリア女王は性格が短気だったと言われています。直情型で、理屈が通らない、我儘な人だったらしいです。
女王が生きた時代はヨーロッパの国々が植民地を求めて海外に進出していました。イギリスも世界各地に進出し、植民地を広げて行きました。19世紀はイギリスが最も繁栄した時代だといえます。
いろいろと決断しなくてはならないことが多かったので、少々気が強くなくては務まりません。我儘と言われる面もあったかもしれませんが、ビクトリア王朝と言われた時代のやり手の女王だったということは間違いないと思います。
高祖父・高祖母とは
ビクトリア女王はエリザベス女王からみると高祖母にあたります。高祖母ですから、エリザベス女王の母の母の母の母に当たります。
高祖父・高祖母は自分から見て4代前の親に当たります。わかりやすく書くと以下のようになります。
自分
父母「ちち・はは」
祖父母「おじいさん・おばあさん」
曽祖父母(大祖父母)「ひいじいさん・ひいばあさん」
高祖父母「ひいひいじいさん・ひいひいばあさん」
ビクトリア女王からの家系
世界中の独立国家には26の王室があります。イギリスの国王は現在クイーンエリザベス女王です。カナダの国王もクイーンエリザベス女王です。イギリスの国王として君臨しているのではなく、カナダがクイーンエリザベス女王を国王として選んでいるだけです。
それはさておき、ビクトリア女王から今にわたる家系を見てみましょう。各両親で子供が複数いる場合もありますが、国王として継がれてきた人たちや今生きている人の中でよく知っている人たちのことを取り上げています。
イギリス王室は問題が多い?
ビクトリア女王は夫のアルバートとの間に4男5女の合計9人の子供がいました。娘たちはドイツを中心とした他の国々に嫁がせました。
長男のエドワード7世は遊び人で、101人の女性と関係を持ったといいます。101匹のワンちゃんみたいですね。それに競馬が大好きだったらしいです。
また、彼は外交手腕に優れていたため、王位に就いてからは敵国であったフランスやロシアとの関係を強めました。日本にも訪れたこともあります。
放蕩息子のバカ息子だっただけでなく、いいこともしたから追放されなかったのですね。まさに「英雄、色を好む」です。
このエドワード7世の長男はアルバート・ビクターで、この人もややこしい人だったと言われています。
彼は男娼館によく通っていたという噂があります。奥さんもいたので、バイセクシャルということですね。
また、この頃、イギリスでは連続殺人事件が発生していました。いわゆる「切り裂きジャック」事件です。売春婦を5人殺し、しかも死体をバラバラにしました。犯人は新聞社に犯行予告を送りつけたらしいです。
今も真犯人は不明なのですが、一説ではアルバート・ビクターが犯人だと疑っている人もいるそうです。 それほどややこしい人だったのですね。
それにしても、イギリスの王家には昔からいろいろと問題があります。
近いところでは、ウイリアム王子とヘンリー王子の母親であるダイアナ妃の事件もありました。エリザベス女王の長男、チャールズ皇太子と結婚していましたね。彼女は1997年8月31日の深夜、フランスのパリで彼女が乗っていた車が交通事故を起こして死んでしまいました。
その後、チャールズ皇太子と結婚したカミラ夫人はダイアナ妃と結婚していたときもずっとチャールズ皇太子の愛人だったし。